その昔、医学界には、教授職の次は市民病院病院長職という格付けがありました。
「俺たちのやりたい医療はこんなんじゃない!」
大学病院と市民病院を飛び出し、開業医になるという当時では破天荒な考えから始まった二人の医師が始めた井上医院
から現在の大江橋クリニックまで
前院長である脳外科医・井上武雄と副院長の耳鼻科医・井上孝雄は、それぞれの分野で診療に力を注ぐとともに、手術に際しては医師二人が協力し、一方が麻酔と全身管理を受け持ちながら手術スタッフ全員を監督し、もう一人の医師が患部の手術治療に全力を注ぐという、当時では珍しかった医師二人による手術体制を導入し、頭頸部のご相談を主に受ける病院でした。
大学病院でも市民病院でもまだ完備できなかった頭頸部専門の病院でした。脳外科医と耳鼻科医が二つの観点から頭頸部を見るという考えは斬新だったようです。
当時は大学病院でも難易とされた頭頸部手術の全身麻酔手術を二人が担当し、かなりの症例数と難しい症例をこなしていました。頭頸部の手術のみならず、痛くない麻酔、腫れにくい術後、きれいな傷跡を、など当時はあまり重要視されていなかった患者様のニーズにもお答えできる手術をも標榜していました。
大江橋クリニックの得意とする分野の一つ「傷跡をキレイに」という治療方法の礎はここから出発します。
二人は、現在では当たり前になった頭頸部の手術に必要な手技の一つ、「傷跡をキレイに手術する。」をその当時から実践していました。
そもそも傷跡という概念すらなく、形成外科という診療科の存在すらなかった当時から、現在の形成外科治療には欠かせない皮膚腫瘍摘出に際し皮膚に縫合跡を残さない皮下埋没縫合を工夫したり、臍ヘルニア(出べその修正手術)を行ったりと、当時の日本の教科書や日本の医局では習得できなかった形成外科的な診療、美容外科的な診療を行っていました。
現在の巻き爪治療では標準となった、入院の必要ない巻き爪治療「フェノール法」を当時から導入していました。
この頃より、頭頸部が専門ではありましたが、人生相談から専門外の相談まで様々なご相談を受けていたようです。まさに”町医者”だったのでしょう。