二人の医師の話
同じ顔を、
二つの向きから。
院長は、内から外へ。骨と筋肉から、顔を組み上げるように見る。
副院長は、外から内へ。顔に表れたものから、その奥を読み解く。
院長 内から組み上げる
院長は、顔を解剖から見ます。骨、筋肉、脂肪、皮膚。
彫刻家が粘土を一つずつ重ねて顔を組み上げていくと、やがて本人そっくりの顔が現れます。院長の考え方は、それと同じです。中の構造を正しく積み上げれば、その人の顔は、おのずと現れる。顔の文化史にも目を向けながら、顔を内側から組み上げるように見ていきます。
院長は、物事を形で覚えます。時計を見に行っても、時刻は覚えていない。覚えているのは、針がどちらを指していたかという絵です。机に戻ってから、その絵を思い浮かべて、ああ何時何分だ、と気づく。
試験で、三科目の問題用紙を、一度に渡される。まず三枚を、先に読む。読み終えたときには、答えはもう頭の中にできている。あとは書くだけ。それが、退屈すぎたそうです。
若いころから、やりたいことが見つかると、寝食を忘れて打ち込みます。考えているあいだは、じっと、動かなくなります。形が見えるまで、手を離しません。
院長にとって、わかるとは、理屈を並べることではありません。まず形が心に浮かび、理屈はあとから、それを確かめるためについてくる。
だから、確かめることを惜しみません。レーザーのハンドピースと肌の距離を少しずつ変え、肌に入る光の強さがどう変わるかを、自ら測って記録しました。手術の説明の絵も、すべて院長が自分で描いています。
院長は音楽が大好きで、合唱をしていました。声は、一人で張り上げても美しくなりません。ほかの声を聞き、重なりを生かして、はじめて響きが整います。
形が先に浮かび、理屈があとから確かめる。
形を、生かす
院長の叔父は、中東の砂漠に、公共の建物を築いてきた建築家です。その叔父から、院長はこう教わりました。建物は、見た目より先に、そこで暮らす人の働きを満たすものだ、と。
形態は、機能を超えない。
形は、こちらが作り出そうとするだけでは整いません。そこにある形を、生かす。木を曲げるときも、耳の軟骨を矯めるときも、同じです。
まぶたも、耳も、同じです。目がすっきり開くこと。耳が、眼鏡やマスクをきちんと支えること。働きを整えたうえに、年月がたっても自然な形が生まれます。
副院長 外から読み解く
副院長も文化を好みますが、見ていく向きは、院長と逆です。顔に表れたものから、その奥へ。入り口は、作品です。
好きな絵があります。日本画家の片岡球子は、「面構(つらがまえ)」と題した連作で、歴史上の人物の顔を描き続けました。人の年輪や、その人がどれほど精進してきたかは、顔に表れる。だから、顔に表れる、その人の内面までも描こうとした、と伝えられています。
会ったことのない人物なのに、どんな人だったのかが伝わってくる。顔には、その人の中身が出ます。
だから大江橋では、流行の形を当てはめることはしません。その方らしさを損なわずに、顔を整えます。整った顔は、人と向き合う自信になります。
その方らしさを、損なわずに。
考えも、動きも違う。けれど、一緒。
考え方も、動き方も、二人はまったく違います。けれど、目指すところは一緒です。
内から組み上げる院長と、外から読み解く副院長。二人は、同じ顔を違う向きから見て、話し合います。理論と実践、その両方の面からも、議論を重ねます。
一人では見落とすものも、両側から見れば見えてくる。治療の方針は、そうして決まります。
城北病院で二人が組んだときから、二人の診療を求めて、多くの方が通ってくださるようになりました。そうして二人で、大江橋クリニックを開きました。
二人の医師のこと
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